日本歴史地名大系 「織島ヶ里」の解説 織島ヶ里おりしまがり 佐賀県:小城郡三日月町織島ヶ里[現在地名]三日月町大字織島天(てん)山山系の彦(ひこ)岳の山麓から平野部にかけての比較的広い領域で、一帯を惣名藤織(ふじおり)という。正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)には、「勅免分」として「藤織庄二十丁」とある。「九州治乱記」によれば、元亀元年(一五七〇)大友勢の佐賀侵攻の時、鍋島直茂は今山(いまやま)(現佐賀郡大和町)の西方藤折(ふじおり)村から山中に入り、今山の背後にでて大友軍への奇襲に成功したと記している。正保絵図には織島ヶ里村と藤織村が記される。享和元年(一八〇一)写の御領中郡村附では、上織島ヶ里、下織島ヶ里に分けている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by