新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「美濃部 亮吉」の解説
美濃部 亮吉
ミノベ リョウキチ*
- 肩書
- 参議院議員,元・東京都知事
- 生年月日
- 明治37年2月5日
- 出生地
- 東京都文京区
- 学歴
- 東京帝国大学経済学部〔昭和2年〕卒
- 学位
- 経済学博士〔昭和28年〕
- 経歴
- 大学を出てドイツに留学後、マルクス経済学者として昭和4年東大農学部講師、10年法政大学教授となり、13年人民戦線事件で大内兵衛らと投獄された。終戦で無罪となり、戦後、20年毎日新聞論説委員、21年内閣統計委事務局長、24年東京教育大学教授などを経て、42年東京都知事に初当選。以来3期12年にわたり、対話とスマイルで“革新都政”を推進、都営ギャンブルの廃止、福祉重点策の実施、公害問題との取り組みなどで独自の政策を貫いたが、高額退職金などから財政危機を招いて3期で引退。その後、55年の参院選で全国区に無所属で当選後は、無党派の参議院の会の代表を務めた。
- 没年月日
- 昭和59年12月24日
- 家族
- 父=美濃部 達吉(憲法学者) 息子=小坂 玄山(サクラ・ファーム主宰)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報