羽崎村(読み)はざきむら

日本歴史地名大系 「羽崎村」の解説

羽崎村
はざきむら

[現在地名]可児市羽崎・広眺ひろみおかみどりおか羽生はにゆうおか

可児川の支流で西流する久々利くくり川北岸にある。北は瀬田せた村、西は伊川いかわ村。永享三年(一四三一)五月二〇日には京都清水寺の懺法料所である「美濃国羽崎・墨俣」の年貢余分七貫七〇〇文を毎月武田小次郎代へ渡すよう籾井備後入道が命じられてい(御前落居奉書)。「鹿苑日録」明応七年(一四九八)二月一三日条によれば、羽崎から出される懺法要脚銭は一〇年来未納となっていた。「文安年中御番帳」に奉公衆土岐羽崎十郎がみえる。文明の乱の最中の文明七年(一四七五)頃には羽崎口で合戦が行われている(同年九月一六日「斎藤妙椿書状写」金沢市立図書館今枝氏古文書等写)

慶長六年(一六〇一)羽崎村一千三四九石余が木曾組衆頭に与えられた(「木曾衆知行目録写」徳川林政史研究所蔵)

羽崎村
はさきむら

[現在地名]丸岡町羽崎

磯部新保いそべしんぼ村の東にある。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では磯部南保に含まれるが、同六年九月結城秀康より宛行われた山川菊松(朝貞)の所領のうちに当村(高五九八・七七石)がみえる(山川家文書)。正保二年(一六四五)松岡藩領となり、享保六年(一七二一)再び福井藩領となった。

安永二年(一七七三)福井藩金津領村鏡(高橋家文書)によると、高五九八・七七石、田二三町九反余、畑三町。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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