羽犬塚村(読み)はいぬづかむら

日本歴史地名大系 「羽犬塚村」の解説

羽犬塚村
はいぬづかむら

[現在地名]筑後市羽犬塚

現筑後市の中央北部、やま川中流右岸に位置する。西は坂東寺ばんどうじ村、南は秋松あきまつ村・藤島ふじしま村。薩摩街道の要地で、羽犬塚町が形成された。「上井覚兼日記」天正一四年(一五八六)八月一日条に「灰塚之町」とみえ、同年七月二七日の岩屋いわや(現太宰府市)攻撃で負傷した覚兼は二九日、肥後国八代に帰還するため同城を出発し、翌八月一日朝、高良こうら山領の宮之路みやのじ(現久留米市)を立って、当地で昼食をとり、その日は長田ながた(現瀬高町)に泊まっている。慶長一〇年(一六〇五)九月二〇日に鋳物師平井三郎兵衛は田中吉政から「はいんつか町」など三ヵ所での鋳物師司を許された(「田中織部等連署奉書写」平井文書)。正保四年(一六四七)の大小道之帳には羽犬塚宿・羽犬塚ノ宿町などとみえ、久留米城下府中ふちゆう(現久留米市)から二里三〇町、今寺いまでら柳川領境目まで一里一〇町二三間。元禄国絵図作製時、羽犬塚町となった(「元禄記」新有馬文庫)。元禄国絵図に羽犬塚町馬次とあり、高一四八石余。「在方諸覚書」では古高四四〇石・役高二七八石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高二七八石。文化四年(一八〇七)畝付帳によると本田一町六反余・畑田六反余・畑三〇町六反余・居屋敷四反余。旧高旧領取調帳では高六七五石余。久留米藩三宿の一で、年は不明だが戌正月に「宿駕」となり、松崎まつざき(現小郡市)府中町と同数の駕籠一〇挺を渡される(「木屋村旧庄屋松浦氏手覚写」黒岩家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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