耳原古墳(読み)みのはらこふん

日本歴史地名大系 「耳原古墳」の解説

耳原古墳
みのはらこふん

[現在地名]茨木市耳原三丁目

安威あい川と茨木川の中間、西国街道北側の台地上に築造された六世紀後半代の古墳。所在地を字毛受野もずのという。墳丘円形をなし、径約二一メートル・高さ約八メートル。周囲はかなり削られているもようで、本来は三〇メートル以上の径を有し、あるいは二段に築かれていたものかと推定されている。内部主体は南に開口する両袖式の横穴式石室玄室花崗岩巨石を用いて構築され、玄室内には二個の石棺が前後に置かれている。後方中央にある石棺は六枚の石材からなる家形石棺で、蓋石には前後各一個、左右各二個の方形縄掛突起を造り出し、底石の一方の左右にも不整形な突起を設けている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む