耳浦庄
みみうらのしよう
氷見市南部の大浦を中心に、東は窪、西は惣領までの広範囲に及ぶとみられる。至徳二年(一三八五)一二月一二日の足利義満御判御教書(遺編類纂所収飯尾文書)によれば、幕府奉行人飯尾大和入道道勝の所領耳浦庄内惣領分地頭職、小杉村等が子息の飯尾隼人佑兼行に譲られている。この地はもと耳浦又五郎入道の跡であったが、延文四年(一三五九)の井上暁悟の反幕府行動などに与同したため、隣接する阿努庄の地頭職などと同様に没収され、幕府奉行人飯尾氏に宛行われていたのであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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