朝日日本歴史人物事典 「神保氏張」の解説
神保氏張
生年:享禄1(1528)
戦国時代の武将。神保氏は越中守護畠山家の守護代家。氏張は庶流氏純の養子で,能登守護畠山義隆の次男という。射水郡守山城(富山県高岡市)を居城とし,天正5(1577)年,上杉謙信が侵攻してくるとこれに従ったが,翌年その死去により上杉方から離れ,同9年,越中に入国した織田信長方佐々成政に属して重用された。成政は,小牧・長久手の戦の翌天正13年豊臣秀吉に下り,同15年の九州征討の際肥後に改易された。これにより氏張も肥後に移る。翌年肥後国人一揆が起こり,その責を問われて成政が刑死したのち徳川家康に召し出され,下総国香取郡の地を与えられている。子孫は旗本として続いた。
(石田晴男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報