肥田城跡(読み)ひだじようあと

日本歴史地名大系 「肥田城跡」の解説

肥田城跡
ひだじようあと

[現在地名]彦根市肥田町

宇曾うそ川左岸沿いにあった中世の城。江戸時代からの開墾によりほとんど水田化し、わずかに土壇と土塁の一部が残るにすぎない。築城時期は確定できないが、崇徳すとく寺に伝わる城主高野瀬隆重画像の賛(天文一二年銘)に、隆重が明応元年(一四九二)の秋、肥田城頭に同寺を創建したとあるので、この頃には城があったことは確かである。高野瀬たかのせ(現犬上郡豊郷町)を本拠地とする高野瀬氏の一族隆重が築城、菩提寺として崇徳寺を建立したとも考えられる。隆重の子秀隆は、六角氏と浅井氏の勢力争いのなかで浅井氏につき、永禄二年(一五五九)から三年にかけて、たびたび六角氏の攻撃をうけた(蒲生文武記・島村沖島共有文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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