蜂屋頼隆(読み)はちや・よりたか

朝日日本歴史人物事典 「蜂屋頼隆」の解説

蜂屋頼隆

没年:天正17.9.25(1589.11.3)
生年天文3(1534)
戦国安土桃山時代武将。美濃出身の土豪で,はじめ土岐氏,次いで斎藤氏に仕えたが,永禄7(1564)年の信濃武田氏による美濃進攻時から織田信長に属し,馬廻りとして黒母衣衆に編成された。兵庫頭,次いで出羽守を称した。信長の近江平定後,愛智郡肥田城(彦根市)城主となり,信長の戦いに従軍している。天正7(1579)年12月,荒木村重妻子虐殺を命じられている。信長死後,豊臣秀吉に従い,天正13年に越前敦賀城主として4万石を与えられ,同16年4月の聚楽第行幸のとき,侍従に任じられるとともに,羽柴の姓も授けられたので,羽柴敦賀侍従と呼ばれた。子がなく断絶した。

(小和田哲男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蜂屋頼隆」の解説

蜂屋頼隆 はちや-よりたか

1534-1589 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)3年生まれ。美濃(みの)(岐阜県)の人。織田信長につかえ,近江(おうみ)(滋賀県)肥田城主となる。信長の命で荒木村重を攻め,荒木方の武将の妻子を尼崎で処刑した。のち豊臣秀吉につかえて越前(えちぜん)(福井県)敦賀城主となり,敦賀侍従とよばれた。天正(てんしょう)17年9月25日死去。56歳。子がなく家は断絶。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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