朝日日本歴史人物事典 「蜂屋頼隆」の解説
蜂屋頼隆
生年:天文3(1534)
戦国・安土桃山時代の武将。美濃出身の土豪で,はじめ土岐氏,次いで斎藤氏に仕えたが,永禄7(1564)年の信濃武田氏による美濃進攻時から織田信長に属し,馬廻りとして黒母衣衆に編成された。兵庫頭,次いで出羽守を称した。信長の近江平定後,愛智郡肥田城(彦根市)城主となり,信長の戦いに従軍している。天正7(1579)年12月,荒木村重妻子の虐殺を命じられている。信長死後,豊臣秀吉に従い,天正13年に越前敦賀城主として4万石を与えられ,同16年4月の聚楽第行幸のとき,侍従に任じられるとともに,羽柴の姓も授けられたので,羽柴敦賀侍従と呼ばれた。子がなく断絶した。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報