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長谷川秀一 はせがわ ひでかず

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美術人名辞典の解説

長谷川秀一

武将・越前東郷城主。本名貞長・藤五郎。織田信長豊臣秀吉に仕える。根来討伐に功をあげ侍従に任ぜられる。朝鮮出兵中病歿。文禄3年(1594)歿。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長谷川秀一 はせがわ-ひでかず

?-1594 織豊時代の武将。
織田信長につかえ,天正(てんしょう)7年(1579)安土(あづち)宗論をつかさどる。信長の死後,豊臣秀吉につかえ,13年越前(えちぜん)(福井県)東郷城主。11万石。九州攻めののち侍従となり,羽柴東郷侍従とよばれた。文禄(ぶんろく)の役で朝鮮にわたり,文禄3年2月死去。尾張(おわり)(愛知県)出身。名は貞長とも。通称は竹,藤五郎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

長谷川秀一

没年:文禄3.2(1594)
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。尾張国葉栗郡北方村(一宮市)の出身。幼名竹,通称を藤五郎。元亀1(1570)年5月,織田信長の黒印状に添状を出しており,早くから信長の側に仕えていた。『信長公記』には天正6(1578)年から「長谷川竹」の名で出てくる。翌7年,安土の宗論をつかさどったことは有名。信長死後は豊臣秀吉に仕え,天正13年の紀伊根来・雑賀攻めおよび四国攻めの軍功によって越前国敦賀郡で11万石が与えられ,東郷城主となり,同15年の九州攻めののち,従五位下・侍従に叙任された。文禄の役には5000人を率いて渡海し,晋州城の包囲戦に加わり,同地で没した。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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