長谷川秀一(読み)はせがわ・ひでかず

朝日日本歴史人物事典 「長谷川秀一」の解説

長谷川秀一

没年文禄3.2(1594)
生年:生年不詳
安土桃山時代武将尾張国葉栗郡北方村(一宮市)の出身。幼名竹,通称藤五郎。元亀1(1570)年5月,織田信長の黒印状に添状を出しており,早くから信長の側に仕えていた。『信長公記』には天正6(1578)年から「長谷川竹」の名で出てくる。翌7年,安土宗論をつかさどったことは有名。信長死後豊臣秀吉に仕え,天正13年の紀伊根来・雑賀攻めおよび四国攻めの軍功によって越前国敦賀郡で11万石が与えられ,東郷城主となり,同15年の九州攻めののち,従五位下・侍従に叙任された。文禄の役には5000人を率いて渡海し,晋州城の包囲戦に加わり,同地で没した。

(小和田哲男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川秀一」の解説

長谷川秀一 はせがわ-ひでかず

?-1594 織豊時代の武将。
織田信長につかえ,天正(てんしょう)7年(1579)安土(あづち)宗論をつかさどる。信長の死後,豊臣秀吉につかえ,13年越前(えちぜん)(福井県)東郷城主。11万石。九州攻めののち侍従となり,羽柴東郷侍従とよばれた。文禄(ぶんろく)の役で朝鮮にわたり,文禄3年2月死去。尾張(おわり)(愛知県)出身。名は貞長とも。通称は竹,藤五郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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