能勢庄(読み)のせのしよう

日本歴史地名大系 「能勢庄」の解説

能勢庄
のせのしよう

和名抄」の能勢郡能勢郷の地に立庄されたとみられる摂関家領。保延六年(一一四〇)の今富名坪付案(壬生家文書)に「能勢村」がみえ、現在の能勢町地黄じおうから野間のまの地域がそれに相当しているので、当庄もこの付近に位置したと考えられる。

庄名の初見は「玉葉」文治三年(一一八七)一一月二六日条で、このとき「東北院領野勢庄」として本寺の修造費の負担を命じられている。東北とうほく(跡地は現京都市上京区)は、藤原道長の娘で一条天皇の中宮となった上東門院彰子が、長元三年(一〇三〇)法成ほうじよう寺金堂の東北に建立した寺院で、その所領は道長や彰子の寄進したものが主体になったといわれる。したがって、当庄が東北院領になった年代も摂関期にまでさかのぼるとみてよいであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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