朝日日本歴史人物事典 「脇坂安董」の解説
脇坂安董
生年:明和5.6.5(1768.7.18)
江戸後期の老中。安親の次男,母は上田義当の娘。播磨竜野藩主。通称中務大輔。外様大名ながら奏者番,寛政3(1791)年寺社奉行となる。文化10(1813)年病気辞職するが,文政12(1829)年復職。寺社奉行時代,大奥に流行していた谷中延命寺僧侶の紊乱を摘発した。また但馬出石藩の御家騒動である仙石騒動は,老中を巻き込んだ疑獄事件に発展したが,普化宗の虚無僧に扮した神谷転の吟味に厳正な判決を下したと評価され,天保6(1835)年12月将軍から印籠を賜る。翌年には外様では破格の西ノ丸老中昇進となり,譜代席に改められた。同8年には本丸老中となり,潔白な政治が期待されたが,在職のまま病死した。急死だったため,西ノ丸派の毒殺との風聞が流布した。
(針谷武志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報