脇坂安董(読み)わきざか やすただ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「脇坂安董」の解説

脇坂安董 わきざか-やすただ

1768-1841 江戸時代中期-後期大名
明和5年6月5日生まれ。脇坂安親(やすちか)の次男。天明4年播磨(はりま)(兵庫県)竜野(たつの)藩主脇坂家8代となる。寛政3年寺社奉行となり,延命院日道事件,但馬(たじま)出石(いずし)藩の仙石騒動などの事件をさばいた。藩校敬楽(けいごう)館を設立。天保(てんぽう)8年老中にすすむ。天保12年閏(うるう)1月23日死去。74歳。号は蒼竜軒。狂号に汐止亭丸丸。淡路守。

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367日誕生日大事典 「脇坂安董」の解説

脇坂安董 (わきざかやすただ)

生年月日:1768年6月5日
江戸時代中期;後期の大名
1841年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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