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脇坂安董 わきざか やすただ

美術人名辞典の解説

脇坂安董

江戸後期の大名。播磨竜野藩脇坂家第十一代当主。名は亀吉、号は蒼竜軒。若くして寺社奉行に抜擢され僧侶を厳しく統制する等、江戸の智恵頭と唄われた。天保12年(1841)歿、74才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

脇坂安董 わきざか-やすただ

1768-1841 江戸時代中期-後期の大名。
明和5年6月5日生まれ。脇坂安親(やすちか)の次男。天明4年播磨(はりま)(兵庫県)竜野(たつの)藩主脇坂家8代となる。寛政3年寺社奉行となり,延命院日道事件,但馬(たじま)出石(いずし)藩の仙石騒動などの事件をさばいた。藩校敬楽(けいごう)館を設立。天保(てんぽう)8年老中にすすむ。天保12年閏(うるう)1月23日死去。74歳。号は蒼竜軒。狂号に汐止亭丸丸。淡路守。

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朝日日本歴史人物事典の解説

脇坂安董

没年:天保12.閏1.23(1841.3.15)
生年:明和5.6.5(1768.7.18)
江戸後期の老中。安親の次男,母は上田義当の娘。播磨竜野藩主。通称中務大輔。外様大名ながら奏者番,寛政3(1791)年寺社奉行となる。文化10(1813)年病気辞職するが,文政12(1829)年復職。寺社奉行時代,大奥に流行していた谷中延命寺僧侶の紊乱を摘発した。また但馬出石藩の御家騒動である仙石騒動は,老中を巻き込んだ疑獄事件に発展したが,普化宗の虚無僧に扮した神谷転の吟味に厳正な判決を下したと評価され,天保6(1835)年12月将軍から印籠を賜る。翌年には外様では破格の西ノ丸老中昇進となり,譜代席に改められた。同8年には本丸老中となり,潔白な政治が期待されたが,在職のまま病死した。急死だったため,西ノ丸派の毒殺との風聞が流布した。

(針谷武志)

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