脇子八幡宮(読み)わきこはちまんぐう

日本歴史地名大系 「脇子八幡宮」の解説

脇子八幡宮
わきこはちまんぐう

[現在地名]朝日町泊

横尾よこおに近い国道八号の南にあり、神社明細帳には高向朝臣某が越中越後の国境鎮護の神としてじよう山頂上に誉田別命を祀ったのが始まりという。なお「日本紀略」には寛平元年(八八九)八月二二日に越中国脇子神に従五位下を授けられるとあるが、当社にあたるかどうかは不詳。旧県社。天正年中(一五七三―九二)前田家中の小野寺権太夫の臣水島兵庫により山麓古宮に移され、とまり町の氏神と仰がれた。享保二年(一七一七)泊町が高波による大水害にあったため、翌年現在地に遷座したと伝える。相殿には神明宮・事代主神・北陸宮を祀る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む