改訂新版 世界大百科事典 「臨淄古城址」の意味・わかりやすい解説
臨淄古城址 (りんしこじょうし)
Lín zī gǔ chéng zhǐ
中国,山東省臨淄県にある斉の城址。斉は周代諸侯国の一つで,太公望が滅殷の功により山東省に封建された国であるが,第7代献公のときに臨淄を都とした。その後桓公が立ち,春秋五覇の一つとなり,戦国時代には戦国七雄の一つとして栄えた。臨淄は,前221年に秦によって斉が滅亡するまで,630余年にわたって斉の都として繁栄したと伝えられる。斉の都の跡である臨淄古城址は,大城とその南西角にある小城(皇城,営丘城)からなっている。版築による土城壁が残り,大城,小城とも南北に長い長方形を呈している。大城の城壁は,西壁2812m,北壁3316m,東壁5209m,南壁2821mの長さが計測され,城壁の幅は17~43mと報告されている。小城の城壁は,東壁2195m,南壁1402m,西壁2274m,北壁1404mの長さである。大城の城門は東・西城壁に各1基,南・北城壁に各2基が発見され,小城の城門は東・西・北城壁に各1基,南城壁に2基が発見されている。城内には幅8~20mの大小の道路が走り,また,幅20~30mの排水路がある。製鉄址,製銅址,鋳銭址,骨器製作所などの各種工房,桓公台,金鑾(きんらん)殿などの宮殿建築基壇,さらには古墓群なども存在する。城内の各遺構からは各種の遺物が出土しているが,それらには陶器(鬲(れき),豆(とう),盆,鉢,缶(かん),盤(ばん),碗(わん)),青銅器(帯鉤(たいこう),鏃,鏡,刀銭),鉄器((ほん),斧,鋤,鑿,鏟(さん)),瓦塼(がせん)類(半瓦当,円瓦当,平瓦,丸瓦,陶水管,方塼,鏡笵(きようはん),銭笵,封泥(ふうでい))などがある。出土する遺物は戦国時代に属すもののみならず,秦・漢の遺物も多い。このことによって臨淄古城が,斉の滅亡後の秦・漢時代にも引き続いて機能していたことが知られる。
執筆者:飯島 武次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報