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桓公 カンコウ

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デジタル大辞泉の解説

かん‐こう〔クワン‐〕【桓公】

[?~前643]中国、春秋時代の君主。在位、前685~前643年。姓は姜(きょう)。名は小白。鮑叔牙(ほうしゅくが)の進言により管仲を登用して国力を充実させ、前651年、春秋五覇の第一となった。

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百科事典マイペディアの解説

桓公【かんこう】

中国,春秋時代のの君主(在位,前685年―前643年)。名は小白。管仲を登用して富国強兵に努め,前679年諸侯を会同して初めて覇者となる。
→関連項目王道・覇道

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世界大百科事典 第2版の解説

かんこう【桓公 Huán gōng】

?‐前643
中国,春秋の君主。在位,前685‐前643年。名は小伯。僖公の子,襄公の弟。襄公の死後,異母兄の糾と位を争い,勝って即位すると,糾の臣管仲を宰相に迎え,彼の富国強兵策を実施して斉を強国にした。また対外的には諸侯と同盟を結んでその盟主となり,周王をたすけて夷狄の侵入を退けるなど強い政治力を発揮し,春秋最初の覇者の地位を確立した(五覇)。しかし晩年になると驕慢な態度が諸侯の離反を招き,死後は君位をめぐる諸公子の争いから内乱が生じるなど,斉の覇業は衰えた。

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大辞林 第三版の解説

かんこう【桓公】

?~前643) 中国、春秋時代の斉の君主。名は小白。鮑叔牙ほうしゆくがの推挙で管仲かんちゆうを用い、春秋時代最初の覇者となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桓公
かんこう
(?―前643)

中国、春秋時代の斉(せい)国の君主(在位前685~前643)。兄の襄公(じょうこう)の死後、異母兄の糾(きゅう)と位を争ったすえ、斉侯(せいこう)となった。鮑叔牙(ほうしゅくが)の推薦で、糾の臣下であった管仲(かんちゅう)を用い、その協力によって春秋の五覇の一人に数えられる有力君主となった。北方の異民族や楚(そ)の侵入から諸侯を救い、紀元前651年の葵丘(ききゅう)(河南省商丘市の西方)における会盟によって覇者の地位を確立した。その後も魯(ろ)の内乱平定に力を貸したり、(けい)、衛(えい)をそれぞれ場所を移して復興させたりした。内政面では富国強兵策を他国に先駆けて採用し、とくに手工業、商業の育成に努めた。しかし、やがて天子の儀礼である封禅(ほうぜん)を行おうとして諸侯から離反され、また、管仲の死後は、その遺言に背いて、かつて国外に追放した家臣を呼び戻したために、彼らに実権を奪われた。死後も斉国内の混乱によって、その遺体は2か月間も葬られることなく放置されたといわれる。[太田幸男]

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世界大百科事典内の桓公の言及

【管仲】より

…はじめ斉の公子糾に仕えた。襄公の死後,君位をめぐる内乱で糾と桓公(かんこう)が敵対し,糾が敗死すると管仲は捕らえられたが,親友の鮑叔牙のつよい推挙によって桓公に用いられ,宰相として国政にあずかることになった。彼の政策は,内政では商業を重視して国を富ませるとともに,国民を軍国主義的に編成して兵力の強大化につとめ,対外的には諸侯の信頼を得ることを第一とした。…

【五覇】より

…中国,春秋時代の5人の覇者。5人のうち,斉の桓公と晋の文公を除いた他の3人については,たとえば楚の荘王,呉王の闔閭(こうりよ),越王の句践(こうせん)とする説,秦の穆公(ぼくこう),楚の荘王,呉王の闔閭とする説,秦の穆公,宋の襄公,楚の荘王とする説などがあって,必ずしも一定していない。ただ5人という数は,のちの戦国時代の五行説にもとづいてつくられたものであり,実際には5人に限定する必要はない。…

【財神】より

…北中国の商家では,諸神とは別に正月2日に財神をむかえ,人々は先を競って財神廟に参詣し,発財招福を祈願すると,〈元宝〉とよばれる馬蹄銀型の紙銭を借りて帰り,翌年これを倍にして返すという風習もあった。妓院では,春秋時代の斉の桓公もしくは管仲を娼業の祖としてまつり,また天津を中心とする北方では,〈胡仙〉とよばれる狐神や〈五大家〉と称される狐,鼬(いたち),針鼠,蛇,鼠の動物神が,巫女や商家のあいだで招財の神として信仰されたことも知られる。【堀 誠】。…

【春秋戦国時代】より

…春秋初期に活躍したのは鄭で,周王室の東遷を助け,北方からの圧力に斉のために出兵した。しかし前7世紀初になると鄭は衰え,かわって斉が力を持ち,その桓公(在位,前685‐前643)は,北方の蛮族のために国を奪われた邢(河北省邢台市)と衛の2国を再興させ,また南方から蔡,鄭などに侵入した楚を撃退し,前651年に諸侯を葵丘(河南省考城県)に会し,周王を中心として団結し,秩序維持に努めることを誓った。諸侯が集って誓いをすることを会盟という。…

【料理人】より

…日本でも人口に膾炙(かいしや)する料理人としてまず屈指しなければならないのは,易牙(えきが)であろう。春秋時代の斉の桓公(かんこう)の料理人で,調味の天才であった易牙に関する話柄は,《左氏伝》をはじめ幾つもの史料にみえるが,《管子》小称によれば,桓公が嬰児(えいじ)を蒸したものはまだ味わったことがないといったところ,易牙は自分の長子を蒸して公の膳にすすめたという。このため料理人の風上にも置けぬとの批判もあるが,明代の万暦年間(1573‐1619)に《易牙遺意》という有名な料理書がでていることからもわかるように,料理人の祖師の一人として称揚されている。…

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