中国、唐(とう)末の僧。臨済宗の開山で、諡(おくりな)は慧照(えしょう)禅師。曹州南華(山東省荷沢(かたく)地区)の人。姓は邢(けい)。若いころ、各派の仏教を学ぶが、生死の解決に無力と知り、名師を訪ねて彷徨(ほうこう)ののち、洪州黄檗(おうばく)山の希運(きうん)に参じ、3年の坐禅(ざぜん)によって大悟した。黄檗に一掌を与え、仏法は無多子(たしなし)(単純)と叫び、印可状を焼き捨てたという。鎮州(河北省石家荘(せきかそう)市北部)の王氏に招かれ、滹沱(こだ)河の辺に小院を構え、自ら臨済と名のる。経典によらず、伝統にこだわらず、即今直下に自己の全体を生かす、真正見解を説く。ちょうど武宗(ぶそう)の破仏のあと、各派の教学が衰滅するのと逆に、その主張は広く一般の共感を得、達磨(だるま)に始まる禅宗の正系とされ、臨済宗とよばれるに至って盛行した。嗣法(しほう)の弟子三聖慧然(さんしょうえねん)(生没年不詳)と、興化存奨(こうけぞんしょう)(830―888)の二人が協力して『臨済録』を編むほか、有力な弟子たちが各地にその教えを広げた。
[柳田聖山 2017年4月18日]
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