黄檗希運(読み)オウバクキウン

デジタル大辞泉 「黄檗希運」の意味・読み・例文・類語

おうばく‐きうん〔ワウバク‐〕【黄檗希運】

中国、唐代の禅僧びん県(福建省)の人。黄檗山出家。のち、百丈懐海えかい師事門下臨済義玄がいる。断際禅師。大中年間(847~860)に没。

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精選版 日本国語大辞典 「黄檗希運」の意味・読み・例文・類語

おうばく‐きうんワウバク‥【黄檗希運】

  1. 中国、唐代の禅僧。福建省の人。福建省黄檗山で出家。百丈懐海(ひゃくじょうえかい)に学び、その後を継ぐ。唐の宰相裴休(はいきゅう)が深く帰依弟子の臨済義玄(ぎげん)臨済宗の祖。生年未詳、大中年間(八四七‐八六〇)の没と伝える。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黄檗希運」の意味・わかりやすい解説

黄檗希運
おうばくきうん

生没年不詳。中国、唐代の禅僧。諡号(しごう)は断際禅師(だんさいぜんじ)。福州(福建省)閩県(びんけん)の人。若くして福州黄檗山で出家した。身長7尺(約2.1メートル)、額に肉珠があったという。天台山に遊行し、のちに百丈懐海(ひゃくじょうえかい)に参じて嗣法する。洪州(こうしゅう)(江西省)の大安寺に住し、高安県に黄檗山を開創。唐のもと宰相、裴休(はいきゅう)の求めに応じて、竜興寺と開元寺で説法し、それは『伝心法要』『宛陵録(えんりょうろく)』として編集された。説法の中心思想は、「即心是仏(そくしんぜぶつ)(この心そのものが仏にほかならない)」である。大中(たいちゅう)年間(847~860)示寂。弟子に臨済義玄(りんざいぎげん)がいる。

[石井修道 2017年1月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「黄檗希運」の意味・わかりやすい解説

黄檗希運 (おうばくきうん)
Huáng bò xī yùn

中国,唐後期の禅僧。断際禅師と呼ばれ,臨済義玄の師として知られる。生没年は不詳。850年ころ,60歳であった。福州の人,黄檗山で出家,江西で百丈懐海の法をつぎ,新たに黄檗山を創して,その教えをひろめた。時の宰相裴休が参禅し,その説法を筆録したものに《伝心法要》《宛陵録》の2書があり,禅の語録の代表とされて,早くより注目され,英訳も数種出ている。また皇太子時代の宣宗が一時僧となっていたときに相識であったことや,武宗の廃仏三武一宗の法難)を経験した中国僧としての話題も多い。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黄檗希運」の意味・わかりやすい解説

黄檗希運
おうばくきうん
Huang-bo Xi-yun

[生]?
[没]大中4(850)?
中国,唐の禅僧。福州の人。断際禅師。洪州黄檗山において出家し,都,長安に遊学したのち洪州に戻り百丈懐海に師事,その法を継いで黄檗山に住んだ。その後,竜興寺,開元寺に移り住んでその宗風を広め,多数の弟子を育成。そのなかでのちに臨済宗の開祖となった臨済義玄が著名。語録『伝心法要』 (1巻) が残っている。

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