興化寺跡(読み)こうげじあと

日本歴史地名大系 「興化寺跡」の解説

興化寺跡
こうげじあと

放生津ほうじようづ守護所(放生津城跡付近)西方にあった臨済宗寺院。現在に遺構を伝えない。山号は黄竜山開山は法灯派の恭翁運良で、鎌倉時代末期の創建とされる(名僧行録)。「扶桑五山記」で越中の五山系寺院として最高位の十刹位にあったことが知られるが、それは「蔭涼軒日録」永享九年(一四三七)七月二〇日条によると、興化寺英昭西堂が入院公帖吹挙を受けており、それ以前と推察される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む