興崎村
こうざきむら
[現在地名]市場町興崎
市場町の東、香美村の北に位置し、南を撫養街道が通る。旧称は香美原で、香美村に属していたという(阿波志)。近世、原士が置かれたことで知られる。寛永一七年(一六四〇)の検地帳に「阿波郡之内香美原新開」と記されるという(「市場町日記」市場町史)。正保国絵図に香美村の北に「香美原村」として高二七石余新田とあるのが当村とされる。慶安三年(一六五〇)軍用のため取立てた原士に野原空地を給したが、原士が六〇人余に増え、野地は三三九町六反余となり、ほかに使番料が七町で、阿波郡内の「西条原」「香々原」には屋敷地を設けたという。同四年に香美原を興崎に改めたとされる(以上「阿淡年表秘録」)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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