興泉寺
こうせんじ
[現在地名]琴平町榎井
榎井の西部、旧琴平町との境にある。小松山と号し、真宗興正派、本尊は阿弥陀如来。天文年間(一五三二―五五)までは旧琴平町の新町付近にあって地福院と号したという。寺伝によれば楠木正成の後胤和田小太郎正則が、文明年間(一四六九―八七)に当地方に来て仏門に入り祐善と称して一寺を建て、五代正宗が榎井村に再興して現在の寺号を称したという。「全讃史」は天文二年祐善開基という。当寺は生駒高俊のとき榎井村の政所を勤め、寛永年間(一六二四―四四)の政所文書を伝える。寛永六年滝宮念仏踊で、七箇村組と坂本組との間に起こった先番・後番の争いを扱って和解させる(「入谷外記書状」当寺蔵など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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