日本歴史地名大系 「舎利寺村」の解説 舎利寺村しやりじむら 大阪府:大阪市生野区舎利寺村[現在地名]生野区舎利寺一―二丁目・生野東(いくのひがし)三丁目・勝山南(かつやまみなみ)四丁目など東成(ひがしなり)郡に属し、猪飼野(いかいの)村・岡(おか)村の南にある。村の東部字河原において南東から流れる平野川と、南から流れる今(いま)川が合流する。村内にある舎利尊勝(しやりそんしよう)寺が村名の由来という。天文一六年(一五四七)七月、細川晴元方である四国衆三好長慶らと、細川氏綱方である河内衆畠山政国・遊佐長教らが当地において戦った。この戦いは舎利寺合戦とよばれ、両方の討死二千人余といわれる激戦であったが、河内衆の敗北に終わっている(細川両家記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by