琉球(りゅうきゅう)最初の王と伝えられる人物。尊敦(そんとん)ともいう。琉球に落ち延びてきた源為朝(ためとも)と大里按司(おおざとあんじ)の妹との間に生まれた子という出自伝説がある。1180年(治承4)衆望を集めて浦添(うらそえ)按司となり、87年(文治3)権勢をほしいままにしていた利勇(りゆう)を倒し王位に登り、在位51年に及んだというが、治世を伝える史料はまったく残っていない。死後、王位は舜馬順煕(しゅんばじゅんき)・義本(ぎほん)2代に受け継がれた(舜天王統)。しかし、王とはいっても琉球一円の覇者ではなく、浦添地方一帯を勢力圏とする強大な按司にすぎなかった、という見方が有力である。
[高良倉吉]
その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...