〈あじ〉とも読む。沖縄の歴史では古く豪族,首長を意味するが,琉球王国確立後は最高位の位階となった。12世紀ころから15世紀までの按司は一定の領域に君臨する首長で,チャラ,ティダ(太陽)の別称でも呼ばれた。16世紀初期,尚真王のときに各地に割拠していた按司は王都首里に集居させられ,以後,社会的身分の最高位をあらわす位階としておもに王族から任命され,間切(まぎり)と称される行政区域の領有を保障された。近世になってもその性格は基本的に変わらなかったが,按司地頭とも称され総地頭とともに両総地頭の名で呼ばれる琉球王国の中枢的存在であった。その屋敷を俗に御殿(うどうん)という。一般に領有する間切の名を冠して〈○○按司〉と称し,浮織(うきおり)の冠をかぶるのが通例である。語源はつまびらかではないが,首長を意味するアルジ(主)説と,長老を意味するアサ説,アキ(吾君)説などがあり未定である。最高の政治的ポストである摂政(せつせい)などもこの身分から任命された。
執筆者:高良 倉吉
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沖縄の歴史のうえで一般には位階の一つをさすが、時代により性格の相違がある。「あじ」とも読む。12世紀から15世紀ころまでの按司は地方首長に対する呼称で、「チャラ」、「ティダ」(太陽の意味)、「世(よ)の主(ぬし)」ともよばれた。16世紀に入ってからは位階編成上の最上位としてもっぱら国王の一族をもって任じられ、間切(まぎり)を領する最高の身分となった。この性格は近世に入ってますます強化され、王家の系統の者に限定されることになり、総地頭(そうじとう)(親方(うぇーかた)クラス)と並ぶ按司地頭として地域支配の結節点をなす存在であった。総地頭と一括して両総地頭とよばれることもある。浮織(うきおり)の冠を頭にかぶる身分で、最高の政治的ポストである摂政(せっせい)(方音シッシイ)もこの身分から任命された。「あんじ」「あじ」の語源は明らかではなく、首長を意味する「あるじ」(主)説と長老を意味する「あさ」説があり、いまのところ未定である。領有する間切名を冠して「○○按司」と称するのが通例であった。
[高良倉吉]
「あんじ」とも。近世の首里(しゅり)王府においては位階名だが,古くは沖縄の各地に割拠した政治的支配者のこと。語源については定説はない。按司が発生したのは12世紀頃で,沖縄の各地でおこった村落間や地域間抗争の統率者・指導者が起源であったと考えられる。13~14世紀頃には鉄製品や鉄塊を輸入する按司が現れ,他の按司を従える強力な支配者,すなわち「世の主」が登場する。沖縄全体の世の主となる国王が出現しても,第一尚氏(しょうし)王統までは按司は各地の城塞に割拠した。しかし第二尚氏王統の尚真王代の1523年に王都首里城下に集められ,地方には按司掟(あじおきて)が派遣された。近世には国王と王子に次ぐ位置を示す位階名となった。
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…ごく古い時代には,その村落の草分けの家の主人が根人(につちゆ),その姉妹が根神(にがみ)として祭祀を主宰していたと考えられる。8,9世紀以降にこのなかから複数の村落を支配する按司(あじ)が出現すると,その姉妹はノロと呼ばれ祭祀を統轄するようになる。さらに地方に割拠する按司を統一して15世紀末に尚王朝が確立すると,首里王府はそれら旧来の組織を利用しながら公的祭祀をつかさどる公儀ノロを任命し,辞令,勾玉,俸禄などを給して,王国の政治宗教的組織の一部に組み込んだ。…
…このように,7,8世紀の中国・日本側文献には沖縄のこととおぼしき記述が見えるものの,なお検討の余地が残されている。
[按司とぐすく]
考古学的に見ると7,8世紀の沖縄はまだ先史社会の段階にあり,王やその臣下がいるようなイメージとは大きくかけはなれている。また,大和朝廷に入貢するような主体が形成されていたとも思えない。…
※「按司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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