舞木城跡(読み)まいぎじようあと

日本歴史地名大系 「舞木城跡」の解説

舞木城跡
まいぎじようあと

[現在地名]千代田町舞木 城下

利根川左岸の自然堤防上、舞木集落のほぼ中央に位置する。一時光恩こうおん寺の敷地となり、その後永楽小学校となり、現在はたわら住宅団地として宅地化が進んでいるため城郭復元は困難であるが、地割から一辺二〇〇メートルほどの単郭方形の平城と推定できる。南辺の堀の一部が残る。承平年中(九三一―九三八)に藤原秀郷が築き、その子孫の俵氏が正治年中(一一九九―一二〇一)から享禄年中(一五二八―三二)まで居住したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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