日本歴史地名大系 「舟見宿」の解説 舟見宿ふなみしゆく 富山県:下新川郡入善町舟見村舟見宿[現在地名]入善町舟見寛文三年(一六六三)愛本(あいもと)橋が架けられ、北陸街道の上街道が整備されるなかで舟見宿と浦山(うらやま)宿(現宇奈月町)が賑いをみせるようになる。両宿の成立について諸記録は大きく異なり、万治年中(一六五八―六一)とするもの、寛文三年とするもの、同七年とするものなどがある。天保八年(一八三七)の往還宿駅人足継立書上帳(加越能文庫)によると、泊(とまり)宿(現朝日町)までの距離は二里二九町、愛本橋を越えて浦山宿までは一里一七町で、賃銭は割増賃四割を加えて泊宿まで本馬一一九文・軽尻七五文六歩、人足五九文五歩、浦山宿まで本馬七八文四歩・軽尻五一文八歩、人足三九文二歩であった。正徳二年(一七一二)十村の三日市(みつかいち)村(現黒部市)善助の書上(「新川郡奉行手帳」加越能文庫)によると、寛文七年舟見村の伝十郎に黒部奥山と入膳(にゆうぜん)村領の材木が下付され、伝十郎の屋敷は本陣宿となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報