船場渡(読み)ふなばのわたし

日本歴史地名大系 「船場渡」の解説

船場渡
ふなばのわたし

江戸時代の日野川を渡河する出雲街道の渡場。鳥取藩の藩営で、同川左岸の船場村から南西対岸の根雨ねう宿に渡る。「在方御定」寛永一七年(一六四〇)七月一九日条に「舟場」とみえ、八幡やわた(現米子市)溝口みぞくち(現溝口町)とともに渡守給米二俵の加増があったことが知られ、これ以前の設置と考えられる。陸路八町の行程時間を要したので八町はつちよう渡ともいわれ、溝口黒坂くろさかとともに日野郡内三公設船渡場であった(日野郡史)。享保一一年(一七二六)の「因伯地理志」によると、渡場の川幅二〇間・深さ四尺、洪水時は二、三日通行不能、上流一町の地は徒渉可能で、深さ二尺五寸。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む