芋川堰(読み)いもがわせぎ

日本歴史地名大系 「芋川堰」の解説

芋川堰
いもがわせぎ

鳥居とりい川水系で最大の用水堰。船竹ふなたけ戸草とぐさ地籍(現信濃町)で取水し、普光寺ふこうじ寺村てらむらしおいりを経て芋川村に入り、北上して若宮わかみや地籍で斑尾まだらお川と暗渠をもって交差し、東流して赤塩あかしお東柏原ひがしかしわばら両村を潤し、斑尾川に入る。全長七里一九町。

上杉景勝の臣清水戸右衛門が開いたとされる。天正八年(一五八〇)あるいは慶長八年(一六〇三)との伝承があり判然としない(正徳五年「青山大膳亮家臣佐藤権左衛門等宛大口五郎兵衛芋川堰由来等書上」・同年「青山大膳亮宛大口五郎兵衛覚」芋川神社蔵)

この芋川堰の掘継ぎを行い赤塩・東柏原両村まで堰筋を延ばし、両村に通水したのが飯山領主松平遠江守(忠倶)家中の野田喜左衛門であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む