芋淵村(読み)いもぶちむら

日本歴史地名大系 「芋淵村」の解説

芋淵村
いもぶちむら

[現在地名]那須町睦家むつや

南流するくろ川を挟み、沼井ぬまのい村の東方に位置し、集落はおもに同川左岸の狭い段丘上に発達した。東は背後の丘陵続きに梁瀬やなぜ村、北は向宿むこうじゆく村、南は黒川を挟み稲沢いなざわ村。鎌倉時代初期に那須資隆の三男三郎幹隆が当地を分知され芋淵氏を称し、数代居住したと伝える(「寛政重修諸家譜」など)近世は旗本芦野領。なお当村と同じ黒川左岸に黒羽藩領沼井村の枝村としてあげられる芋淵村があり(「創垂可継」封域郷村誌巻一)耕地などは錯綜していた。慶安郷帳に村名がみえ田高二〇石余・畑高九石余、改革組合村では高四六石余、家数二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

〘 名詞 〙 ( 牽牛と織女の別れを悲しむ涙雨の意 ) 陰暦七月七日に降る雨。せいるいう。《 季語・秋 》[初出の実例]「歳時雑記曰、〈略〉七日雨、則曰二洒涙雨一」(出典:俳諧・滑稽雑談(1713)七...

洒涙雨の用語解説を読む