日本歴史地名大系 「花熊村」の解説 花熊村はなくまむら 兵庫県:神戸市中央区花熊村[現在地名]中央区花隈町(はなくまちよう)・北長狭通(きたながさどおり)五丁目・下山手通(しもやまてどおり)四―六丁目・中山手通(なかやまてどおり)四―六丁目二茶屋(ふたつぢやや)村の北、六甲(ろつこう)山地南麓段丘上に立地する。貞和二年(一三四六)四月日の佐藤性妙申状(佐藤文書)によれば、陸奥国信夫(しのぶ)郡(現福島市ほか)住人佐藤性妙は建武二年(一三三五)北畠顕家追討のため上京して花熊・生田(いくた)森などでの合戦に参加し、子の彦左衛門尉行清や若党らが傷を負っている。 花熊村はなぐまむら 福岡県:京都郡犀川町花熊村[現在地名]犀川町花熊木山(きやま)村の北、今(いま)川の西岸に位置する。天生田(あもうだ)(現行橋市)から秋月(現甘木市)に至る南北道が通る。元和八年人畜改帳によると給人二人分の高六二六石余、家数六七・人数九三(うち庄屋一・百姓一一・山ノ口一・鍛冶一・名子など二二)、牛一三・馬六。寛永九年(一六三二)の高六二八石(「仲津郡寛永六年七年八年三ヶ年之御免帳」永青文庫)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by