福徳寺(読み)ふくとくじ

日本歴史地名大系 「福徳寺」の解説

福徳寺
ふくとくじ

[現在地名]長野市松代町東寺尾

真言宗豊山派。杵渕山と号し、下野国足利の鶏足寺末。本尊地蔵菩薩。

もと更級さらしな杵渕きねぶち(現長野市篠ノ井杵渕)にあった。祐山上人の開山で、六世決雄の時、武田信玄が帰依し、海津城築城時地固の修法を命じ、永禄二年(一五五九)その恩賞で東寺尾ひがしてらお村に寺地を与え、移して城の鬼門の祈願所とし、寺領五〇貫文を給すという。

福徳寺
ふくとくじ

[現在地名]飯能市虎秀

高麗こま川支流の吾野あがの川に面して建つ臨済宗建長寺派寺院。楊秀山と号し、本尊は釈迦如来。「風土記稿」によれば宝山智鏡を開山に建暦二年(一二一二)に創建されたといい、境内に国の重要文化財指定されている阿弥陀堂がある。この阿弥陀堂は鎌倉末期の和様建築で県内最古の建造物とされる。堂は方三間平面をもち、正面三間は蔀戸、東西両側面は引違格子戸である。屋根は単層の宝形造で、昭和三〇年(一九五五)の解体修理の際に茅葺から銅板葺に変更されているが、屋根と軒のみせる曲線は優雅で美しい。

福徳寺
ふくとくじ

[現在地名]大鹿村大河原 上蔵

曹洞宗、医王山と号す。本尊は阿弥陀如来。もとは天台宗であったといわれる(下伊那史)。創立は本堂の本尊台座にある嘉吉四年(一四四四)の墨書銘に「此御堂立はじめハ平地二年」とあり、平地は平治の当字とみられることから、平治二年(一一六〇)頃と推定される。

本堂は桁行三間、梁間三間、一重・入母屋造・柿葺こけらぶきで、隅柱上にのみ舟肘木を設け、軒一重の簡素な建物で現在国指定重要文化財である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「福徳寺」の解説

福徳寺〔長野県〕

長野県下伊那郡大鹿村にある天台宗の寺院。創建年代不詳。山号は医王山。本尊は薬師如来、阿弥陀如来。本堂は国の重要文化財。

福徳寺〔埼玉県〕

埼玉県飯能市にある臨済宗の寺院。鎌倉時代後期に建てられたとされる阿弥陀堂があり、国の重要文化財に指定されている。

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事典・日本の観光資源 「福徳寺」の解説

福徳寺

(長野県下伊那郡大鹿村)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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