日本歴史地名大系 「花香塚村」の解説 花香塚村はなかづかむら 群馬県:新田郡新田町花香塚村[現在地名]新田町花香塚・早川(はやかわ)大間々(おおまま)扇状地南方の沖積地にあり、西境から南境にかけて早川が流れる。北は東新井(ひがしあらい)村(現佐波郡境町)、東は上田中(かみたなか)村・下田中村、南は矢島(やじま)村(現境町)、西は下淵名(しもふちな)村(現同上)。中世には新田庄・淵名庄の境界に位置し、嘉応二年(一一七〇)の新田庄田畠在家目録写(正木文書)に「はなか塚の郷 田一町二たん 廿たい」とある。この目録を注進した享徳四年(一四五五)閏四月の在家注文には「さかいにとらる」という傍注があることから、花香塚郷は当初は新田庄分であったが、のちに西(さい)庄(淵名庄)に吸収されたものである(年月日未詳「新田庄知行分目録」同文書)。淵名庄内花香塚の実相院方は、貞治二年(一三六三)に榛名(はるな)山満行(まんぎよう)権現(現群馬郡榛名町)の頼印僧正に寄進された(同年一二月二九日「足利基氏御教書写」相州文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by