芳賀崎村(読み)はがさきむら

日本歴史地名大系 「芳賀崎村」の解説

芳賀崎村
はがさきむら

[現在地名]桑名市芳ヶ崎

現桑名市の西部にあり、嘉例川かれがわ村の南に位置する丘陵地。南端員弁いなべ川に、東北は嘉例川に臨む。南部には弁天べんてん川が流れ、中央部を東西に濃州(員弁)街道が通る。江戸時代には芳賀崎、明治時代初期からは芳ヶ崎と記される。江戸時代は慶安郷帳(明大刑博蔵)森忠もりただの内とあり、元禄郷帳・天保郷帳とも森忠村枝郷とあるが、それぞれ独立村として村高が記載されている。


芳賀崎村
はがさきむら

[現在地名]結城市芳賀崎

山王さんのう村の南に位置。天正一八年(一五九〇)九月の山川晴重宛の豊臣秀吉宛行状(山川修二文書)に「はかさき」がみえ、慶長六年(一六〇一)から天領となるが、元和元年(一六一五)から寛永一二年(一六三五)は山川藩(水野氏)領、その後下野壬生藩(三浦氏、正徳二年から鳥居氏)領となって明治に至る(東京都立大学蔵水野家文書など)。安政六年(一八五九)に大風水害があり、農民は年貢引下げを要求して目的を達したが、その割戻米の取扱に村役人の不正があったらしく、一般農民と村役人との間で激しい対立が起こった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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