若戸渡(読み)わかとのわたし

日本歴史地名大系 「若戸渡」の解説

若戸渡
わかとのわたし

若松わかまつ(現若松区)戸畑の間の洞海どうかい湾口の最狭部を結ぶ渡し。大渡川おおわたりがわ渡船ともよび、これは若松―戸畑間の洞海湾を川に見立てて大渡川ともよんだことによる(「続風土記」など)。永禄一二年(一五六九)三月二〇日の小早川隆景・吉川元春連署書状(萩藩閥閲録二)には「都波田(戸畑)中島小田備前守申談之、渡往返并小倉津加勢為使」とみえ、早くから渡船が運航されていたことがうかがえる。近世には地元漁民が個人名義で伝馬船により行っていた。渡しの距離について若松―戸畑間は「古御絵図に海上弐町拾弐間」とあるものを「此度相改三町四拾八間と書記」したという(「元禄絵改正帳」森家文書)。寛政一二年(一八〇〇)の戸畑村庄屋喜平次が作成した文書(戸畑郷土史)によると、船主助市は長さ三間半・横五尺、深さ一尺五寸の渡舟一艘を有していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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