日本歴史地名大系 「若戸渡」の解説
若戸渡
わかとのわたし
使」とみえ、早くから渡船が運航されていたことがうかがえる。近世には地元漁民が個人名義で伝馬船により行っていた。渡しの距離について若松―戸畑間は「古御絵図に海上弐町拾弐間」とあるものを「此度相改三町四拾八間と書記」したという(「元禄絵改正帳」森家文書)。寛政一二年(一八〇〇)の戸畑村庄屋喜平次が作成した文書(戸畑郷土史)によると、船主助市は長さ三間半・横五尺、深さ一尺五寸の渡舟一艘を有していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報