くき‐の‐うみ【洞海】
- 洞海(どうかい)湾の古名。
- [初出の実例]「皇后別船(ことみふね)にめして洞海(クキノウミ)より〈洞(とう)此には久岐と云ふ〉入りたまふ」(出典:日本書紀(720)仲哀八年正月(北野本訓))
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
洞海
くきのうみ
現在の洞海湾の古称。湾の地形が細長く、洞穴を思わせるところから洞海といった。「日本書紀」仲哀天皇八年正月四日条に、岡県主の祖熊鰐が筑紫に巡幸した神功皇后を「洞海」から岡津(岡水門。遠賀川河口の港)まで導いた記事がみえ、皇后の船は干潮で進めず、満潮を待って岡津に至ったとある。当時の洞海湾は水路(現在の江川の前身)を通じて遠賀川に通じており、船の往来が可能であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の洞海の言及
【洞海湾】より
…石峰・皿倉両山塊間の地溝が入海となったもので,東西に細長く,湾奥まで約8kmある。古くは洞海(くきのうみ)とか大渡(おおわたり)川とよばれ,水深3~4m,幅1.5~2kmの浅瀬や藻場の多い好漁場であった。また湾奥から江川および1762年(宝暦12)完成の堀川運河により遠賀(おんが)川と結ばれ,江戸時代,南岸の黒崎は港宿場町,湾口西岸の若松は藩米,石炭の積出港として栄えた。…
※「洞海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 