戸畑村
とばたむら
[現在地名]戸畑区浅生一―三丁目・沖台一―二丁目・新川町・初音町・中本町・汐井町・南鳥旗町・北鳥旗町・明治町・元宮町・幸町・旭町・新池一―三丁目・千防一―三丁目・三六町・天神一―二丁目・小芝一―三丁目・沢見一―二丁目・正津町・天籟寺一―二丁目・夜宮一―三丁目・一枝一丁目・福柳木一丁目・観音寺町・東大谷一―三丁目・西大谷一―二丁目・椎ノ木町・菅原一―四丁目・高峰一―三丁目・丸町一―三丁目・戸畑・牧山一―五丁目・牧山新町・牧山海岸・銀座一―二丁目・川代一―二丁目・飛幡町など
現戸畑区の東部を占め、北西は内海(洞海湾)、北は外海(響灘)に臨む。洞海湾を隔てて北西は若松村(現若松区)、東は中原村、南西は枝光村(現八幡東区)。南西部には牧山(七五・四メートル)がそびえ、本村のほか天頼寺(天籟寺)・三六・牧山の集落がある(「地理全誌」など)。戸畑は鳥旗・飛幡・戸幡・鳥羽田・戸端などとも記した。名古屋崎(名籠屋崎・名護屋崎)は村の北部から響灘に向かって北西に突出した岬で、若松村の小田崎に相対し、「日本書紀」仲哀天皇八年正月四日条にみえる「名籠屋大済」は、両崎の間の洞海湾狭隘部にあたるとされる。
戸畑村
とばたむら
[現在地名]玖珠町戸畑
日田郡境に近い玖珠川沿いに立地し、大部分は右岸であるが、魚返の滝の下流下泊は左岸。府内・日田往還が通る平川付近は古くから玖珠川上流の玖珠郡諸村や下流の日田郡諸村との交流の要地で、宿場が形成された。筑後や日田方面から府内への旅には平川かあるいは四日市村・森城下で一泊した。日田へは代太郎村経由が多かったが、文政六年(一八二三)の新道開通に伴い萩ヶ原越が多くなった。中世は山田郷の内としてみえる。
慶長六年(一六〇一)の予州替地知行所目録(佐伯藩政史料)に村名がみえ、高一千八三八石余。同七年の日田郡・玖珠郡預米帳(同史料)には山田郷鳥羽田村とあり、百姓四郎左衛門分として米一七石・大豆八九石などとある。同年の玖珠郡・日田郡御蔵入目録(同史料)では物成四九〇石余のうち米二二六石余・豆一七四石余・稗五〇石余・蕎麦一三石余・粟一三石余・大唐一一石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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