若月紫蘭(読み)ワカツキ シラン

20世紀日本人名事典 「若月紫蘭」の解説

若月 紫蘭
ワカツキ シラン

昭和期の劇作家,演劇研究家,国文学者



生年
明治12(1879)年2月10日

没年
昭和37(1962)年7月22日

出生地
山口県防府市

本名
若月 保治

学歴〔年〕
東京帝国大学英文科〔明治36年〕卒

経歴
明治41年万朝報に入社し、大正11年まで勤務。のち東洋大学教授、日本大学、山口大学講師を務めた。その間、メーテルリンク「青い鳥」や「アナトール・フランス傑作集」などを翻訳。その一方で戯曲を執筆し、「滅び行く家」「石田三成の死」などの著書刊行。10年「人と芸術」を創刊、11年新劇研究所を設立。12年から国文学研究に転じ「古浄瑠璃の新研究」などを著した。また旧制山口高校時代より句作を始め、のち大野酒竹、沼波瓊音師事。歌俳集「銀鐘」、句集「春の影」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「若月紫蘭」の解説

若月紫蘭 わかつき-しらん

1879-1962 明治-昭和時代の劇作家,演劇研究家。
明治12年2月10日生まれ。41年「万朝報」の記者となり,大正10年「人と芸術」を創刊。翌年新劇研究所を設立した。のち東洋大教授。昭和37年7月22日死去。83歳。山口県出身。東京帝大卒。本名は保治。著作に「古浄瑠璃(じょうるり)の新研究」,戯曲集「滅び行く家」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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