若竹笛躬 (わかたけふえみ)
浄瑠璃作者。生没年不詳。その伝についても不詳であるが,わずかな手がかりは《戯財録》に,若竹笛躬は〈若竹藤九郎といふ人形遣ひ,後,作者となる〉とある記事である。1759年(宝暦9)の《難波丸金鶏(なにわまるこがねのにわとり)》から99年(寛政11)の《纐纈紺屋譜(ゆいがのここうやのけいず)》まで,豊竹座などの作者連名に名が見える。おもな作品はいずれも合作で,《嬢景清八島日記(むすめかげきよやしまにつき)》《祇園女御九重錦(ぎおんにようごここのえにしき)》《摂州合邦辻(せつしゆうがつぽうがつじ)》《伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)》《けいせい恋飛脚(こいのひきやく)》《木下蔭狭間合戦(このしたかげはざまがつせん)》などである。なお,創作期間に8年間の空白があることから,若竹伊輔を2世笛躬とする説もあるが,笛躬の生涯については不明な点が多い。
執筆者:向井 芳樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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若竹笛躬
生年:生没年不詳
江戸中期,上方の人形遣い,浄瑠璃作者。人形の方では若竹藤九郎と名乗り,宝暦期(1751~64)にすでに「当流の達人」「発明無類」と評される大立者で,明和3(1766)年ごろまで活躍した。浄瑠璃の作者としては,たぶん笛十こと難波三蔵の門下で,笛躬の名もそれにちなむかと思われる。宝暦9(1759)年から寛政11(1799)年まで豊竹座などで上演された「岸姫松轡鑑」「摂州合邦辻」「伊達娘恋緋鹿子」ほか多数の作者連名に加わっている。明和5年度には大坂中の芝居三枡他人座の歌舞伎の作者でもあった。<参考文献>入我亭我入『戯財録』(日本思想大系61巻),『義太夫年表/近世篇1』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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若竹笛躬 わかたけ-ふえみ
?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)作者。
「戯財録」では人形遣い若竹東工郎と同一人物としているが,経歴など不明な点がおおい。初代,2代のふたり説もある。明和元年(1764)刊「嬢景清(むすめかげきよ)八嶋日記」など,おもな作品は合作である。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の若竹笛躬の言及
【祇園女御九重錦】より
…5段。[若竹笛躬](ふえみ)・中邑阿契(なかむらあけい)の合作。1760年(宝暦10)12月大坂豊竹座初演。…
【木下蔭狭間合戦】より
…1789年(寛政1)2月大坂大西芝居初演。[若竹笛躬](わかたけふえみ),近松余七,[並木宗輔](千柳)の合作。余七は[十返舎一九]。…
【摂州合邦辻】より
…通称《合邦》。[菅専助],[若竹笛躬](ふえみ)作。1773年(安永2)2月大坂北堀江市の側芝居初演。…
【伊達娘恋緋鹿子】より
…通称《櫓のお七》。[菅専助],松田和吉,[若竹笛躬]作。1773年(安永2)4月大坂北堀江市の側芝居初演。…
【嬢景清八島日記】より
…通称《日向島》《盲景清》。[若竹笛躬](ふえみ),黒蔵主(こくぞうす),中邑阿契(なかむらあけい)合作。1764年(明和1)10月大坂豊竹座初演。…
※「若竹笛躬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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