木下蔭狭間合戦(読み)このしたかげはざまかっせん

精選版 日本国語大辞典 「木下蔭狭間合戦」の意味・読み・例文・類語

このしたかげはざまかっせん【木下蔭狭間合戦】

  1. 浄瑠璃。時代物。一〇段。若竹笛躬(ふえみ)・二世並木千柳(並木翁輔)・近松余七(十返舎一九)合作。寛政元年(一七八九)大坂道頓堀大西芝居初演桶狭間(おけはざま)戦い美濃斎藤龍興(たつおき)の軍師竹中官兵衛と尾張小田春永に仕える此下当吉との軍略比べなどに、此下当吉と知恵比べ、術比べをする強盗石川五右衛門因果物語や活動を取り合わせて脚色

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改訂新版 世界大百科事典 「木下蔭狭間合戦」の意味・わかりやすい解説

木下蔭狭間合戦 (このしたかげはざまがっせん)

人形浄瑠璃。時代物。10段。1789年(寛政1)2月大坂大西芝居初演。若竹笛躬(わかたけふえみ),近松余七,並木宗輔(千柳)の合作。余七は十返舎一九太閤記物の一つ。実録小説《真書太閤記》や読本《絵本太閤記》などで知られた秀吉一代記のうち,今川義元の桶狭間(おけはざま)の戦を背景に,美濃の斎藤竜興の軍師竹中官兵衛(史実半兵衛)と,小田春永(織田信長)の軍師此下当吉(このしたとうきち)(木下藤吉郎)との知略比べや,盗賊石川五右衛門の活動などを取り合わせたもの。日吉丸(のちに当吉)と友市(のちに五右衛門)の2人は,少年時代,犀が崖の来作(らいさく)という盗賊のもとで過ごした。十数年後,当吉は尾張の小田家に仕えた。小田方の左枝犬清(さえだいぬきよ)(前田犬千代)は,敵の竹中官兵衛の娘千里と契り,勘当を受けるが,これは官兵衛を味方につける計略だった。しかし,官兵衛の攻撃を受け,犬清は自害するが,当吉の知略で小田方の勝利となる。五右衛門が助けた義妹小冬は,あやまって父治右衛門に殺される。五右衛門は,大望を抱き足利館に乗りこむが,当吉に見破られる。五段目の〈来作住家〉,七段目の〈竹中砦(とりで)〉,九段目の〈壬生村〉などが知られている。同年9月から10月にかけ,大坂中山福蔵座(角の芝居)で歌舞伎に移された。江戸の初演は,遅れて1805年(文化2)9月の市村座。のちには,五右衛門の件だけ演じられることも多くなった。桶狭間の戦を扱ったものに河竹黙阿弥作《狭間軍記鳴海録(なるみのききがき)》がある。
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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「木下蔭狭間合戦」の解説

木下蔭狭間合戦
このしたかげ はざまがっせん

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
若竹笛躬 ほか
補作者
竹本三郎兵衛(3代) ほか
初演
寛政1.5(京・早雲亀谷座)

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世界大百科事典(旧版)内の木下蔭狭間合戦の言及

【太閤記物】より

…《時代織室町錦繡》は8段物の技巧作で,81年2月初演。寛政・享和期(1789‐1804)に多く作られ,89年《木下蔭狭間合戦(このしたかげはざまがつせん)》,91年《彫刻左小刀》,93年《蝶花形名歌島台》,94年《唐錦艶書功(からにしきえんしよのいさおし)》《日本賢女鑑》,96年《鬼上宦漢土日記(おにしやがんもろこしにつき)》,99年《絵本太功記》《太功後編の旗颺(たいこうごにちのはたあげ)》,1801年《日吉丸稚桜(わかきのさくら)》など16作があり,この時期は太閤記物の最盛期であり,注目作の《木下蔭狭間合戦》と代表作の《絵本太功記》とで終始した。前者は桶狭間(おけはざま)の合戦を背景としたもので歌舞伎においてもくり返し上演された。…

※「木下蔭狭間合戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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