日本歴史地名大系 「茂串山城跡」の解説 茂串山城跡しげくしやまじようあと 高知県:高岡郡窪川町窪川村茂串山城跡[現在地名]窪川町茂串町窪川の町並の南、茂串山(三七二メートル)山頂にある。すぐ西を四万十(しまんと)川が、北を吉見(よしみ)川が流れる要害の地で、中村街道と窪川・宇和島街道を押える要衝である。繁石山(しげいしやま)城・窪川城ともいう。城主窪川氏は仁井田五人衆の一人で、山内氏とも称し、明応九年(一五〇〇)備後守宣澄が相模国鎌倉から来住したという。「南路志」所収の「仁井田郷談」によれば、茂串山に城を築き、麓に土居を構え、窪川・井細川(いさいがわ)両郷で二千六五〇石余を領した。宣澄の子充秋は津野氏に属し、天文(一五三二―五五)の頃一条氏の配下となって下番頭を務め、一時与津(よつ)浦の政所代官を兼ね、天正の初め長宗我部元親の幕下になった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by