茂木保(読み)もてぎほ

日本歴史地名大系 「茂木保」の解説

茂木保
もてぎほ

東真壁ひがしまかべ郡より分出した茂木郡域に成立した国衙領の保。東西に分れ、茂木庄ともいった。現茂木町のうち南部の旧逆川さかがわ村と西部の旧須藤すどう村の西半を除いた地、および現茨城県那珂なか緒川おがわ村の一部を含む地域に推定される。西の境は坂井さかのいの字芳地戸ほうじどと推定される。北は那須庄に接する。茂木西方は、西茂木郡・西茂木保・茂木保西方などと記され、鮎田あゆた・神江(井)小井土こいど(戸)・藤和(縄)坂井の五ヵ郷からなり、坂井郷内には方志戸・滝内・田谷たやなどが、小井土郷内には馬籠・野内および茂木氏の居城桔梗ききよう(茂木城)があった。また茂木東方は、東茂木郡・東茂木保・茂木保東方と称され、飯野いいの・茂木・はやし増井ましい馬門まかどの五ヵ郷からなり、林郷内には檜山ひやま村、馬門郷内には河口かわぐち(郷)茂木郷には前小堀まえこぼりがあったほか、小深おぶか(郷)・小高倉などがあった。

建久三年(一一九二)八月二二日の将軍家政所下文(茂木文書)に「本木郡」とみえ、治承四年(一一八〇)一一月二七日に茂木氏の祖八田知家が源頼朝より地頭に補任されている。承久四年(一二二二)二月二一日、知家の三男知基(幹)は、東真壁郡内の鮎田・神江(井)・藤和(縄)・坂井・小井戸の五村を子息一王(知宣)に譲っているが(「茂木知基譲状写」同文書)、この五ヵ所は後年西茂木保もしくは茂木保西方と称され、この頃には当保は東西に分割されていたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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