日本歴史地名大系 「茂木保」の解説
茂木保
もてぎほ
建久三年(一一九二)八月二二日の将軍家政所下文(茂木文書)に「本木郡」とみえ、治承四年(一一八〇)一一月二七日に茂木氏の祖八田知家が源頼朝より地頭に補任されている。承久四年(一二二二)二月二一日、知家の三男知基(幹)は、東真壁郡内の鮎田・神江(井)・藤和(縄)・坂井・小井戸の五村を子息一王(知宣)に譲っているが(「茂木知基譲状写」同文書)、この五ヵ所は後年西茂木保もしくは茂木保西方と称され、この頃には当保は東西に分割されていたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報