那須庄(読み)なすのしよう

日本歴史地名大系 「那須庄」の解説

那須庄
なすのしよう

固田かただ庄・武茂むも庄・佐久山さくやま御厨ひえだ御厨、那須北条郡などの公領を除くかつての那須郡一帯に比定される。承久三年(一二二一)閏一〇月一日の関東下知状案(金沢文庫古文書)に「那須上庄地(頭)等訴申」とみえる。貞応三年(一二二四)頃に作成されたと思われる宣陽門院覲子内親王所領目録(島田文書)にも「下野国那須庄上庄、下庄」とあり、鎌倉前期には、上庄・下庄に分れている。この所領目録から当庄は、鳥羽法皇の皇女上西門院(統子内親王)から後白河法皇の皇女宣陽門院へ伝領され、少なくとも貞応三年八月までは宣陽門院領であったことが確認でき、皇室領庄園として成立したと考えられる。開発・寄進の主体は古代以来の豪族那須氏であり、地頭職をも保持していたと思われる。承久三年には称名しようみよう(現横浜市金沢区)と何らかの関係を有していたと思われる長山尼は、領家から預所職を与えられたと称して押領したため、那須上庄の地頭たちから訴えられている(前掲関東下知状案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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