日本歴史地名大系 「茂森町」の解説
茂森町
しげもりまち
城の南側に位置し、
「津軽一統志」に慶長一五年(一六一〇)の記事として「茂森町与長勝寺の中間の堀は、乳井大隅守為過料堀之築土居」とあり、町の西側の堀はこの時期にできた。元和元年(一六一五)町内東側の観音堂のある茂森山(現森町付近)は、弘前城内を見下ろすため整地したといわれる(永禄日記)。しかし正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、町内は町屋として町割され、重森とある森は「城之地形より此森五間高し、廻り七拾八間四方」とあり、完全には掘崩されていなかったと思われる。
茂森町
しげもりちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報