草刈村(読み)くさかりむら

日本歴史地名大系 「草刈村」の解説

草刈村
くさかりむら

[現在地名]市原市草刈

菊間きくま村の東、村田むらた川右岸に位置する。下切付しもきつけの草刈遺跡出土の八世紀前半とされる土師器坏墨書銘に「草苅寺坏」とある。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二七二石。正保国絵図でも高二二八石余。元禄郷帳では高三五七石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高三五七石余で家数一一六、五井藩領。天保郷帳では高三七五石余。天保一四年(一八四三)より鶴牧藩領。村田川より取水する大堰(草刈堰)があり、菊間村八幡やわた村の二一〇町余および千葉郡古市場ふるいちば・村田・浜野はまの各村(現千葉市中央区)などを灌漑した。慶長一七年(一六一二)椎名しいな茂呂もろ(現同市緑区)の名主五郎右衛門の発意により着工、元和元年(一六一五)に完成した。


草刈村
くさかりむら

[現在地名]紫波町草刈

北上川左岸の山間丘陵地に位置。西は犬吠森いぬほえもり村、東は北田きただ村、南は星山ほしやま村、北は西長岡にしながおか村。草苅とも記した。草刈氏系譜(萩藩閥閲録)によれば、備前守基近は寛元年間(一二四三―四七)足利家に属し、父基秀とともに紫波郡草刈郷に地頭として下向、以来草刈を名字としたという。寛永一八年(一六四一)の高一二二石余(「検地高目録写」県立図書館蔵)。正保国絵図に村名がみえ、高五四石余。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付によれば蔵入高一四九石余、七ヵ年平均の免三ツ九分七厘九毛。元禄十郡郷帳による〆高は、田方九六石余・畑方四六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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