朝日日本歴史人物事典 「荒井鳴門」の解説
荒井鳴門
生年:安永4.3.25(1775.4.24)
江戸時代後期の漢学者。阿波(徳島県)の人。名は公廉,豹,字は廉平,班蔵,通称は半蔵,号は鳴門,南山など。幼いころから読書を好み,那波魯堂に学ぶ。その後,大坂に出て奥田尚斎に師事。文化2(1805)年,大和五条の郷校主善館に招かれ,郡民を教導する。文政1(1818)年,江戸に行き,林述斎門に入る。聘せられて山城国(京都府)淀藩に仕える。31年間,4代の藩主に仕え,留守居役にまで進み,藩政に参与した。朱子学を信奉。大坂の風俗を詠んだ『浪華四時雑興百首』や吉野を題した『芳野新詠』など,詩人としても名を残している。
(高橋昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報