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林述斎

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美術人名辞典の解説

林述斎

江戸後期の儒者。美濃岩村藩主・松平乗蘊の三男。名ははじめ乗衡、のち衡、字は叔*・公鑑・徳詮。幼名は熊蔵、別号は蕉軒・天瀑等。渋井太室等に学ぶ。林信敬の養嗣となり、大学頭となる。寛政の改革において林家の聖堂学舎を幕府直轄の学問所(昌平黌)とし、柴野栗山古賀精里らと教育行政に尽力した。また朝鮮通信士の応接の儀を定めた。『佚存叢書』『徳川実紀』『寛政重修諸家譜』等多数の編纂事業を推進。林家中興の祖となる。天保12年(1841)歿、74才。

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デジタル大辞泉の解説

はやし‐じゅっさい【林述斎】

[1768~1841]江戸後期の儒学者。名は衡(たいら)。字(あざな)は徳詮。号、蕉軒。美濃岩村藩主松平乗蘊の子。幕府の命により、血統の絶えた林家を相続し、林家中興の祖と称される。幕府教学行政に尽力した。「徳川実紀」を編纂。著「蕉軒雑録」など。

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百科事典マイペディアの解説

林述斎【はやしじゅっさい】

江戸後期の朱子学者。名は衡(たいら),字は徳詮(とくせん)。美濃(みの)国岩村藩主松平乗蘊(のりもり)の三男。渋井太室・細井平洲に学び,徂徠学と折衷学を奉じた。
→関連項目安積艮斎新編相模国風土記稿鳥居耀蔵

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

林述斎 はやし-じゅっさい

1768-1841 江戸時代後期の儒者。
明和5年6月23日生まれ。美濃(みの)(岐阜県)岩村藩主松平乗薀(のりもり)の3男。渋井太室らにまなぶ。寛政5年(1793)幕命により血統のたえた幕府儒官の林家をつぎ,大学頭となり,昌平坂の聖堂学舎を幕府の学問所(昌平黌(しょうへいこう))とする。幕府の事業として「寛政重修諸家譜」「徳川実紀」などを編修,「佚存(いっそん)叢書」も刊行。天保(てんぽう)12年7月14日死去。74歳。名は衡(たいら)。字(あざな)は徳詮。別号に蕉隠,蕉軒,天瀑。

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世界大百科事典 第2版の解説

はやしじゅっさい【林述斎】

1768‐1841(明和5‐天保12)
江戸後期の幕府の儒官。名は衡(たいら),字は徳詮,号はほかに,蕉隠など。幼名は熊蔵。美濃国岩村藩主松平乗蘊(のりもり)の第3子。渋井太室に師事し,1793年(寛政5)林信敬の死後林家を継承し,羅山から8代目の祭酒,大学頭となる。老中松平定信とともに学政改革に当たった。昌平坂の別邸を孔子廟とともに幕府の学問所とし(昌平坂学問所),儒官・属吏の任命,学生の寄宿・試験などの制度を整備した。また《寛政重修諸家譜》《徳川実紀》《朝野旧聞裒藁(ちようやきゆうぶんほうこう)》《新編武蔵風土記稿》その他多数の幕府編纂書の総裁として総轄した。

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大辞林 第三版の解説

はやしじゅっさい【林述斎】

1768~1841) 江戸後期の儒学者。名は衡たいら、字あざなは徳詮、号は蕉軒。美濃岩村藩主松平乗蘊のりもりの子。林羅山の血統が絶えたので、1793年幕府の命により林家を相続し、大学頭となった。林家中興の大儒といわれた。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

林述斎
はやしじゅっさい

[生]明和5(1768).6.23. 美濃
[没]天保12(1841).7.14. 江戸
江戸時代後期の江戸幕府の儒官。名は衡。字は叔沈,公鑑,徳詮。幼字は熊蔵。別号は蕉軒,天瀑。美濃岩村藩松平乗蘊の3男。初め大塩鼈渚,徂徠学派の服部仲山らに学び,のち折衷学派の渋井太室,細井平洲らに師事。

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世界大百科事典内の林述斎の言及

【佚存叢書】より

林述斎の編集した中国古書の叢書。寛政(1789‐1801),文化(1804‐18)年間に完成した。…

【清俗紀聞】より

…年中行事,居家,冠服,飲食,閭(りよ)学,生誕,冠礼,婚礼,賓客,羈旅(きりよ),喪礼,祭礼,僧徒の13巻に分かち,図絵を付して解説してある。巻頭に林述斎,黒沢惟直(雪堂),中井曾弘の序文(漢文)があり,末尾の跋には,編集に協力した大通事,小通事,画工,清国人の姓名をのせる。本文は変体仮名による和漢混淆文。…

【新編相模国風土記稿】より

…1841年(天保12)成立。昌平黌地理局総裁林述斎編。全126巻。…

【新編武蔵風土記稿】より

…1828年(文政11)成立。昌平黌地理局総裁林述斎編。全265巻。…

【地誌】より

…1635年(寛永12)刊の徳永種久《しきおんろん(色音論)》を最初に中川喜雲《京童》《鎌倉物語》,浅井了意《東海道名所記》《江戸名所記》《武蔵鐙(むさしあぶみ)》《京雀》,一無軒道冶《蘆分船》《難波鑑(なにわかがみ)》,菱川師宣《江戸雀》や,《新編鎌倉志》《江戸鹿子》などができ,享保(1716‐36)以降は仮名草子的性格を脱した菊岡沾凉(せんりよう)《江戸砂子》,斎藤幸雄《江戸名所図会》を最高峰とする秋里籬島(りとう)《都名所図会》(1780)以来の名所図会類,鈴木牧之《北越雪譜》,紀行文としての古河古松軒《東遊雑記》,大田南畝《調布日記》などがある。 幕府官撰の地誌は後期に下り,大学頭林述斎の建議により,彼が総裁となって昌平坂学問所に地誌編修取調所を置き,地誌を収集して《編修地誌備用典籍解題》を作成し,間宮士信(ことのぶ)ら40人が武蔵国各郡を分担して1810年(文化7)起稿,28年(文政11)完成し,《新編武蔵風土記稿》として30年幕府に献上した。これから江戸府内をはずし別に《御府内風土記》を編纂したが焼失し,収集資料を整理して《御府内備考》として出版した。…

【朝野旧聞裒藁】より

…1093巻。江戸幕府の官撰で大学頭林述斎の監修。1819年(文政2)に着手,41年(天保12)に完成。…

【徳川実紀】より

…516冊(本編447冊,付録68冊,成書例・総目録・引用書目1冊)。大学頭林述斎を総裁とし,成島司直(もとなお)を主任格に20名余の編纂員で撰述し,1809年(文化6)起稿,43年(天保14)に完成。正本献上につづいて副本が作成され,49年(嘉永2)に完成。…

【林家】より

…その間,歴代当主に学力の差,早世,時勢の変化があって盛衰があり,他学派の隆盛に押されることもあって,幕政参与は鵞峯以後漸次少となり,鳳岡,述斎を除いてはほとんど無力であった。林述斎は美濃岩村藩主の家から入って継承したが,老中松平定信ら幕閣に提言して,学校制度のみでなく編纂事業をも遂行した。林家は改元,法制,朝鮮通信使の応接,外交文書の起草,幕臣の教育などを初代から任務として当たり,幕府の諸事諮問を受ける家であるので,儒学界では終始重んぜられた。…

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