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江戸後期の儒者。名は衡(たいら)、字(あざな)は徳詮。述斎、蕉隠(しょういん)、蕉軒(しょうけん)と号す。美濃(みの)国(岐阜県)岩村藩主松平乗蘊(まつだいらのりもり)(1716―1783)の三男。林家(りんけ)7世信敬(のぶたか)(1767―1793)に嗣がなかったので、1793年(寛政5)幕命により林家を継ぐ。大学頭(だいがくのかみ)に任ず。幕府による寛政(かんせい)異学の禁に応じて、昌平黌(しょうへいこう)の幕府の官学化、幕臣に対する学問吟味の制度の創設、正学たる朱子学の振興などに努めて、目覚ましい成果をあげる。林家中興の祖と称せられる。著書に『蕉軒(しょうけん)雑録』などがある。
[玉懸博之 2016年6月20日]
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…その5年後江戸幕府は開拓をはかるが失敗,1727年(享保12)小笠原貞任の一族が渡島を試みたが帰還せず,長く無人島のまま放置された。 対外的危機を訴えた林子平や渡辺崋山,高野長英らにより,蝦夷地とともに開拓することが説かれたが,1823年(文政6)アメリカの船員が母島に上陸し,27年にはイギリスの艦船が父島に寄港して領有を宣言した。次いで30年(天保1)にはアメリカ人セボリーらがハワイ系住民20人をつれて移住し,53年(嘉永6)にはペリーが日本渡航のさい寄港してセボリーをアメリカの植民政府長官に任じ,貯炭所の敷地購入などを行った。…
…林子平がロシア勢力南下の情勢を踏まえて,対外的防備策を論じた兵書。全16巻。…
…こうした水戸学の成立は,内外にたいする深刻な危機感が,徳川体制の中枢にまで浸透したことを示すものといえよう。
[軍備充実の重視]
開鎖の議論と密接に関連して,軍備充実論が展開されるが,これを創唱したのは林子平の《海国兵談》(1786稿)である。日本は海国で,水路は世界に通じているから,その軍備は外寇に備えるものであるべきで,その要は水軍と大砲にあるとして,彼は洋式に倣って大船と大砲を充実するよう強調した。…
…北方問題にはやくから重大な関心を寄せた幕府は,蝦夷地の地勢調査をするなど海防の緊要性を痛感していた。にもかかわらず,《三国通覧図説》《海国兵談》を著し海防の必要性を力説した林子平を処罰したのは,外交権や対外情報を独占している幕府の権威を侵すものと考えたからである。
[結果]
以上のような寛政改革により,財政的にはわずかながら黒字に転じ,改革直前の深刻な財政危機を一応回避することができた。…
…軍事地理書。林子平著。1冊,付図5葉。…
…岩倉具視は1862年(文久2)和宮降嫁を推進したことから尊攘派の糾弾するところとなり,辞官蟄居を命ぜられた。1792年(寛政4)《海国兵談》を著した林子平は兄嘉膳方に引き渡し在所において蟄居を命ぜられた。その他著名な事件としては,1839年(天保10)蛮社の獄に連座した渡辺崋山は主人家来に引き渡し在所において蟄居を命ぜられ,54年(安政1)佐久間象山,吉田松陰などもこの刑をうけた。…
※「林述斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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