荒巻淳(読み)アラマキアツシ

デジタル大辞泉 「荒巻淳」の意味・読み・例文・類語

あらまき‐あつし【荒巻淳】

[1926~1971]プロ野球選手。大分の生まれ。昭和25年(1950)毎日(千葉ロッテ前身)に入団投手として活躍し、26勝をあげてパリーグの初代新人王となった。昭和28年(1953)、米国メジャーリーグチーム相手に、日本のプロ野球選手として初の完投勝利を収めた。「火の玉投手」の異名をもつ。

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20世紀日本人名事典 「荒巻淳」の解説

荒巻 淳
アラマキ アツシ

昭和期のプロ野球コーチ・元選手



生年
大正15(1926)年2月16日

没年
昭和46(1971)年5月12日

出身地
大分県大分市

学歴〔年〕
大分経専(現・大分大学)卒

経歴
ノンプロ星野組のエースとして活躍、昭和24年都市対抗優勝橋戸賞を受賞。25年毎日オリオンズに入団。ルーキーで26勝8敗、防御率2.06をあげ、パリーグの新人王、最優秀投手となる。29年にも24勝をマーク。速球ドロップが武器で、“火の玉投手”とも呼ばれた。駿足のため代走に起用されたこともある。35年以降は1勝も出来ず、37年シーズン終了後、引退。37〜40年阪急コーチ、45年からヤクルト球団のコーチを務めた。60年殿堂入り。実働13年、508試合登板、173勝107敗、1069奪三振、防御率2.23。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒巻淳」の解説

荒巻淳 あらまき-あつし

1926-1971 昭和時代後期のプロ野球選手。
大正15年2月16日生まれ。ノンプロ星野組の本格派左腕で「火の玉投手」とよばれ,昭和24年都市対抗野球で星野組を優勝にみちびく。翌年毎日オリオンズに入団,26勝をあげ新人王となる。実働13年,通算173勝107敗,防御率2.23。のち阪急,ヤクルトのコーチ。昭和46年5月12日死去。45歳。60年野球殿堂入り。大分県出身。大分経済専門学校(現大分大)卒。

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367日誕生日大事典 「荒巻淳」の解説

荒巻 淳 (あらまき あつし)

生年月日:1926年2月16日
昭和時代のプロ野球コーチ;選手
1971年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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