荒津・荒津庄
あらつ・あらつのしよう
博多湾内の古代の津の一つで、鎌倉期には山城石清水八幡宮領の荒津庄が成立している。現中央区の荒戸から西公園にかけての一帯に比定される。「万葉集」に天平八年(七三六)の遣新羅使一行に加わっていた土師稲足が詠んだ「神さぶる荒津の崎に寄する波間無くや妹に恋ひ渡りなむ」(巻一五)をはじめとして、荒津を詠込んだ歌が数首ある。この遣新羅使一行は、筑紫館(のちの鴻臚館)に滞在していたことが知られるので(「万葉集」巻一五)、荒津は筑紫館に付属する津として早くから発達していたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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