荒牧名
あらまきみよう
[現在地名]南串山町荒牧名
尾登名の北東に位置し、北部は海に臨む。地内に弥生時代から古墳時代にわたる門山石棺遺跡がある。峰五郎に有馬氏の家臣峰五郎左衛門の居城したという峰城の跡、白頭に同じく荒牧和泉守の拠点という城崎城の跡がみられる。門前にあるキリシタン墓碑三基(県指定史跡)は池崎にあったものとされ、慶長一一年(一六〇六)銘の扁平蓋石型の墓碑(一・三六メートル)に「里阿ん」、切妻蓋石型墓碑に同年銘、扁平蓋石型墓碑に同一七年銘が刻まれる。島原の乱後に平戸から竹下氏が門山に、大村より森下氏が白頭に移住したほか、島原より馬場氏、多比良村(現国見町)より植木氏が来住したとされ、加例川の三宅氏は小豆島(現香川県)から移ってきたという(南串山町郷土誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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