光永寺(読み)こうえいじ

日本歴史地名大系 「光永寺」の解説

光永寺
こうえいじ

[現在地名]平野区平野本町一丁目

浄土真宗本願寺派、山号鷲谷山、本尊阿弥陀如来近世には同派本山兼帯所の平野御坊と称した。明応五年(一四九六)明鎮が本願寺八世蓮如に帰依して開創した。明鎮は坂上田村麻呂の後裔と伝える。天文五年(一五三六)六月の石山いしやま本願寺(跡地は現東区)増改築の際、「今日之普請ニ光永寺門徒平野衆弐百斗来候」(「天文日記」同月一五日条)とあるように、当寺門徒の平野衆二〇〇人ほどが普請の手伝いに赴いている。そのほか本願寺で行われる重要な仏教の斎や毎年の報恩講などに、当寺が相伴衆を勤めたことが「天文日記」にみえ(天文一一年一二月一九日条・同月二八日条など)、当寺は教団内の有力末寺であったことがうかがえる。


光永寺
こうえいじ

[現在地名]長崎市桶屋町

中島なかしま川右岸にある。向陽山と号し、真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。慶長(一五九六―一六一五)末年の頃、肥前唐津からつの唐津九兵衛が出家して慶西(長崎五人僧)と称し、浦上うらかみ村に庵室を営み、浄土真宗の布教を始めるが、慶長一九年に長崎奉行長谷川左兵衛からサン・ジョアン・バプチスタ教会の跡地寺地として与えられ、光永寺を建立したという。のち古川ふるかわ町のサン・アウグスチノ教会跡に移転、さらに現在地に移ったともされる。元和七年(一六二一)京都本願寺から寺号の公称が許された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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