日本歴史地名大系 「荒生田村」の解説 荒生田村あろうだむら 福岡県:北九州市(旧筑前域)八幡東区荒生田村[現在地名]八幡東区荒生田一―三丁目・高見(たかみ)一―五丁目・昭和(しようわ)一―三丁目・川淵町(かわぶちまち)・八王寺町(はちおうじまち)・茶屋町(ちややまち)など板櫃(いたびつ)川の中流域にあり、長崎街道が通る。豊前国企救(きく)郡に属し、江戸時代には小倉藩(慶応三年から香春藩)領であった。南は長崎街道を挟んで高槻(たかつき)村、東は同街道を挟んで小熊野(こぐまの)村、到津(いとうづ)村(現小倉北区)、西は山岳の中腹をもって筑前国遠賀(おんが)郡大蔵(おおくら)村、北は井堀(いぼり)村(現小倉北区)など。村の西部には長崎街道の荒生田番所が置かれていた。正保国絵図に村名がみえ、高一〇石余。郷村高帳では高三六三石余、うち新田一八石余。幕末頃の企救郡各村覚書では本高三四四石余、竈数三〇・人数一二九。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by